実家のそばでの報告会

埼玉の実家のある小さな町で違憲判決の報告会をさせて頂きました。

取り仕切って下さったのが、僕の中学時代の友人のお母さん。
その他にも、僕が小さい頃から知っている方が何人も運んで下さいました。

なお、私の母親も参加。5月からこれまで何十件も報告会をさせていただいておりますが、正直申しましてもっともやりにくかったです…。

さて、報告会では、西谷さんの新しいDVD「ジャーハダ」を見ようか、あるいは名古屋高裁の法廷で見た「イラク戦場からの告発」を見ようか悩んだのですが、「痛み」が切実に伝わるという点で、やはり「イラク戦場からの告発」を皆さんに見て頂きました。皆さんの反応を見ても、やはりそれで良かったと思いました。

その後、判決文で大事なところをピックアップして、朗読をしてもらったりしながら、判決のエッセンスを皆さんと共有させて頂きました。

判決のエッセンスは、端的に言えば、2007年間1年間、アメリカがイラクで行った空爆の回数は2006年の6倍の1447回、ものすごい大規模な「掃討作戦」をイラク全土、特にバグダッドで行っています。

米軍は、その軍事作戦のために2006年8月からバグダッドに「増派」を始めるわけですが、その1月前の2006年7月から、私たちの自衛隊はバグダッドへの輸送活動を、アメリカからの強い要請に従って開始し、今に至っています。

去年一年間の掃討作戦を行う武装した米兵を、その最前線まで送り込んでいるのが私たちの自衛隊。イラクの市民を殺しているのに等しいわけです。

少なくとも去年1年間イラクで犠牲になった市民に対して、私たちは直接の責任を問われます。それを私たち自らの「武力行使」と認定し、憲法9条1項違反としたのがこの判決の大事なところです。

「9条を守ろう」「9条は大事だ」とみんなが言っているさなかに、実はイラクで日本は戦争をしてるのだという「事実」をしっかり知って頂くことが大事だと思っています。
9条という「理念」を語る前に、今の現実をしっかり知ること。
そこから出発することが大事です。

空襲やヒロシマナガサキ、沖縄など、戦争被害が不十分ながらも承継されながら、「9条を守ろう」と語られてきました。それは戦争の本質を学ぶ上でとても大事なことです。

でも、日本は、1945年に戦争で大きな被害に遭うまえに、「15年戦争」を見ただけでも15年もの間、アジア諸国に対して戦争の加害者だったわけです。

日本の9条は戦争被害の面のみならず、加害の面に対する大いなる反省から産まれたものです。

是非、「9条を守ろう」と条文を守ることに力を注ぐだけでなく、今の現実から出発して、国にしっかり「9条を守らせる」ことに力を合わせて行ければと思っています。
それができずに「9条を世界に」など、私たちに言える資格はありません。

今回も、その点を皆さんにはしっかり受け止めて頂けたものと思っています。

なお、終わった後、実家に寄らずに福島に移動しました。年内は他の仕事とも折り合いをつけながらも、とにかく精一杯ひとりでも多くの方に違憲判決をお伝えしたいと思っています。

自民党のCMで、麻生さんが1年で160回を超える講演を行ったと自慢げに言っていましたが、違憲判決報告会は5ヶ月強で200回を超えました。

麻生さん、まだまだですよ。

川口
[PR]
# by iraben | 2008-10-21 23:51

三重県津市での報告会

名古屋第一法律事務所の北村栄です。ブログ初投稿です。

10月3日、三重県の津へ「憲法改悪反対みえ共同センター」から依頼を受けて、
お話に行ってきました。

総会のあとのメイン企画のようで、40人ほどの方が熱心に参加されていました。
まずは、いつもの通り、DVDの上映です。立派な集会室で備え付けのスクリーンと
よく通るスピーカーで映画のように見ることが出来ました。
女性の姿も多く、DVDでイラクの子どもの映像が映るたびに、驚きとため息の
声が挙がり、みなさん食い入るように見られていました。
DVDの上映前に、これが裁判官の心を動かした一つの大きな要素だと思いますと
前ふりをしたのもよかったのか、講演終了後、12枚もの注文を戴きました。

私も、講演3回目ともなればだいぶなれてきて、起承転結をつけ、楽しく、
力強く、話すことが出来るようになりました。

1時間20分もあっという間にすぎましたが、参加された皆さんも身を乗り出して
聴いておられる方も多く、気持ちと気持ちの交流も出来ました。

翌日、
 ”参加者は「大変よかった」「勇気をもらった」などと感動していました”
という担当者の方から感想のメールを戴きましたが、ありがたいことです。

一人でも多くの人が、本当のことを知り、それをさらに伝えることがいかに大切か、
皆さんと一緒に今後も伝えることを続けていきたいと思います。

北村 栄
[PR]
# by iraben | 2008-10-05 11:44

法政大学の学生さん達が聞いてくれました。

9月29日、新幹線と電車を乗り継いで法政大学多摩キャンパスへ行ってきました。

法政大学の教員有志の先生方が「それ、憲法違反です! -自衛隊イラク派兵違憲判決を担当弁護士が解説する」という会を開いてくださったのです。

聴衆の皆さんは、教授からこの会のことを聞いたり、教授の皆さんが配布された学内のチラシを見て、来て下さった学生さん達です。夏休み明けて1週間、疲れもたまってきているはずのこの月曜日に午後5時から7時過ぎまで、熱心に参加して下さいました。

会場は社会学部内の階段教室。目の前には、おしゃれな若い学生さん達がたくさん座っています。普段なかなか話す機会のない、ぐっと若い学生の皆さんたちにどんな言葉が届くだろうか、と、緊張し、不安になりながら、報告をさせていただきました。途中、熱心にメモを取ってくれている学生さんたちの姿に励まされ、頑張って話をさせてもらいました。

質疑の時間には「なかなか行動に移すことができないんだけれども、どうしたらいいだろうか」という、これからに繋がる質問も出され、ここが新しいアクションの始まりになるかもしれない、という予感を感じさせてくれました。

雨の中来てくれた学生さん達の心の中に、何か一つでも、引っかかることが残ってくれたら・・・そんな気持ちで雨のキャンパスを後にしました。こんな素敵な機会を作ってくださった先生方にも感謝です。
(た)
[PR]
# by iraben | 2008-10-04 11:49

山形の旅

c0176103_1434255.jpg   9月26日と27日、山形県の鶴岡市と山形市で学習会をして下さる企画があり、名古屋から空を飛んでうかがいました。

   ***

  9月26日は日本海側の鶴岡市で夕方から会をしていただきました。あいにくの雨模様。こちらの冬は風が強く、雪は空からではなく下から地吹雪のようにふってくるそうですが、この日も冬が近づいてきたのか、風が吹き荒れていました。そんな悪天候にもかかわらず、50人近くの方が会場に足を運んで下さいました。

  「イラク 戦場からの告発」のDVDも上映しながら、この訴訟で、誰がどんな思いで、どんな裁判をしてきたのか、ということについて、話をさせていただきました。また、自衛隊を、世界中でアメリカが行う戦争へ、いつでもどこへでも参戦させることができるための「派兵恒久法」の構想を、この判決を使ってどう止めていけるか、という手がかりについても少しだけでしたが話をさせていただきました。
  「ニュースで違憲判決が出されたとは聞いていたけれど、今、日本が戦争をしているって言う判決だったんだね」と、率直な感想を寄せて頂きました。

  鶴岡市は、1973年のオイルショック時に石油業界が闇カルテルを結んで、灯油を売り渋り、灯油価格のつり上げをはかったことに対し、地元の主婦の皆さんを中心に1654名もの方達が灯油裁判に立ち上がった地だそうです。
  生活に根ざした生協運動を基盤に、消費者の権利を確立する上で大変画期的で先進的な裁判運動を、何十年も前にされていたのだそうです。今回学習会を企画して下さった山形県原水協の佐々木俊司さんに教えて頂きました。

 原告の方一人ひとりがその訴えをお腹の底まで落として裁判をたたかわれ、裁判所や裁判の行い方に対して市民の常識で意見を述べて裁判を作ってこられた、という点は、様々な違いはあっても、このイラク訴訟と相通じるものがあるかもしれない、と感じました。

   ***
 
 9月27日は昼からの会のため、山形市へ向かいました。月山を越えると雨は上がり、青空の下、刈り入れ間近の稲穂が金色に光っていました。日本海側の鶴岡市と内陸の山形市とでは、天気だけでなく、秋の名物「いも煮」のスタイルも違うのだそうです。
 
 山形市の会は、飛行機の都合があり、話をさせていただき質疑を受けた時点で会の終了を待たずに退席しなければならず残念でしたが、100人近くの方がやはりとても熱心に話を聞いて下さいました。

  会場となったビッグウイングには、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」のライブラリがありました。アーカイブを観ることもできるようです。いつか時間をかけて訪れてみたいです。

   ***

  山形県には、11月以降も何度か、山形各地へ弁護団が出かけて報告会をさせて頂く予定があります。ますます多くの方にこの判決を知っていただけますように。(た)

   ※上の写真は、帰りの山形空港で出会った虹です。おおきな虹でしたが、私の小さい携
   帯電話では虹の一部しか写すことができませんでした (^^;)
[PR]
# by iraben | 2008-10-01 14:50

西谷文和さんとのジョイント

9月23日、すっきりと晴れた行楽日和の名古屋で学習会が開かれました。

学習会は一日がかり。午前中は西谷文和さん(フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」)がこれまでイラクについて取材を重ねて作成してきたDVD3本が上映されました。

午後からは、引き続き西谷さんが「戦争から5年 イラクは今・・・」として報告をされ、その後、私が「イラク派兵違憲判決を生かして自衛隊撤退を!」として、イラク派兵違憲判決について報告をさせていただきました。

午前中からたっぷり夕方5時までという長時間に及ぶ会でしたが、100人を超える方達がとても熱心に参加してくださいました。学習会は「国民保護法制を考える会」の主催で、この訴訟の原告だった西英子さんから声を掛けていただいて出かけてきました。

西谷さんが作成されたDVD「イラク 戦場からの告発」(07年7月)は、名古屋訴訟でも証拠として提出し、07年7月に行われた裁判期日では法廷で上映して裁判官や国の代理人と一緒に見た映像資料です。一つの家族、一人の子どもに焦点を当てた映像を切り口に、今のイラクで行われている「戦争」を伝えるこのDVDは、「テロとのたたかい」が普通に暮らす人たちの命を奪い、生活を破壊するものだということを伝えてくれています(*1)。

23日の学習会では、その後の西谷さんのイラク取材で明らかになったことがたくさん、伝えられました。アメリカ軍がバグダッドに建造した「分離壁」のこと、分離壁による住民たちの普通の生活への被害。
また、激戦地でアメリカ軍により神経ガスを使用したのではないかと疑われること。イラクでは未だに電気や水といった基本的なインフラ設備が回復しておらず、コレラが流行っていること(イラクが中東の中でも生活水準・医療水準が高い国だったことを考えると想像できません)。戦争で夫を殺され、収入の柱を失って生活苦に陥る一家・・・。
日本が参加したイラク戦争の罪深さを感じ、少しでも早くこの戦争を止めたいと切に思います。「テロとのたたかい」って何なの?、ということも考えさせられました。

西谷さんは、この戦争の実態を伝えるだけでなく、どうしてこの戦争が起きているのか、ということも大変わかりやすくお話しくださいました。

「平和運動は二重の意味で素晴らしいんです。一つは言うまでもなく、戦争しないということで素晴らしい。二つは、平和運動によって生活がラクになる。」というのがそのお話です。
どうして「平和運動によって生活がラクになるの?」と思われた方は、どうぞ最新DVD「ジャーハダ イラク民衆の闘い」(制作:イラクの子どもを救う会)を観てください(*2)。

西谷さんは10月にまた、イラク入りされるそうです。無事に戻ってきて下さり、また多くのお話をお聞きしたいと思います。
西谷さんの関西弁の語り口、一度聞いたらファンになりますよ。

「国民保護法制を考える会」の次回10月26日の学習会では、当弁護団の岩月浩二弁護士が「インド洋から自衛隊を撤退させるために、違憲判決をどう活かすべきか」という題で話をされます。
自衛隊のあらゆる海外派兵からの撤退、とくにインド洋からの撤退を求めて学習会とデモをされるそうです。(た)

*1 「イラク 戦場からの告発」はこのサイト内で御覧いただけます。
*2 DVDの問い合わせは:「イラクの子どもを救う会」HPからどうぞ。
[PR]
# by iraben | 2008-09-30 19:01

那覇・石垣

9月21日には,沖縄の那覇と石垣に伺いました。

沖縄は,まさに基地の存在により、「平和的生存権が奪われている地域」です。もっともこの判決を活かすべきところだということで、弁護団と原告訴訟団とで行こうということになり,わたし(川口)と原告の久野さんと2人で行って参りました。

那覇では,日曜日の午後にもかかわらず,多くの方に来て頂きました。
わたしからは,この違憲判決を沖縄のみなさんの手で育て,どんどん使っていって欲しい、と述べ,ともに頑張っていこうという連帯が産まれました。沖縄共同法律事務所の加藤裕弁護士はじめ皆さんのおかげです。
次に石垣という予定が控えていたため,懇親の時間も持てず,あわただしくなってしまったことが少し残念でした。
4時半の飛行機で石垣に向かい,5時半頃に石垣に着きました。

石垣では,美術家の潮平さん,このイラク訴訟原告の寺田さんが迎えに来てくださいました。午後7時からの開催前に,バンナ公園内にある「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊碑」(97年建立)に連れて行って頂きました。

「戦争マラリア」とは、戦時中、日本軍が住民をマラリア有病地に軍命で「避難」させたため、多くの島民がマラリアに感染、多数の死者を出したというものです。

潮平さんはこの慰霊碑建立や八重山平和祈念館の建設に尽力されました(慰霊碑のデザインも潮平さんがされたとのこと)。

その後,新栄公園にある「世界平和の鐘」と「憲法9条の碑」も見させて頂きました。
憲法9条の碑は,憲法9条が私たちと同じ大地に立ち,平和を支えている,というイメージがしっかり伝わってきました(これも潮平さんがデザインをされたそうです)。

7時少し前に会場に到着。すると何と石垣市の大濱市長が出迎えてくださりました。
少し歓談をさせて頂いた後,ホールへ。会場には多くの皆さんが集まってくださいました。
主催者の方達が数日前から島内を宣伝カー(?)で回って宣伝してくださったとのこと。

冒頭,大濱市長から,違憲判決を大いに喜んだとのお話とともに,「憲法9条を強くして行かねばならない」と話され,石垣には自衛隊はいらない,と強調されました。
世の中にはこんなすごい市長がいるのかと心底感激をしました。

この訴訟の証人の明大の山田朗教授は,「日本の軍拡は中国を挑発し,中国の軍拡はインドを挑発し,インドの軍拡はパキスタンを挑発し,パキスタンの軍拡はイランを挑発する」と言っています。台湾や中国に近いこの八重山に自衛隊を来させないことは,この「ドミノ」倒しを止めるためにとても大事だということになります。

八重山・石垣に大濱市長のような市長がいらっしゃり,その市長を多くの市民が支えている。石垣の皆さんは,アジアの平和のためにとても重要な役割を果たしていると実感しました。

講演は,双方向形式で行い,とても盛り上がりました。市長も含め皆さんは熱心に最後まで報告会に「参加」してくださいました。

報告会終了後は,日付けが変わるまで,八重山の料理などを堪能させて頂きました。
突き抜けるような明るさをもった皆さんとの出会いに感謝です。

翌22日は午前中,潮平さんに唐人墓や川平湾などに連れて行って頂きました。
美しい川平湾も含め,石垣の素晴らしい自然は,「自然」にあるのではなく,開発から自然を守ってきた多くの島民の闘いの上にあるのだということがよく分かりました。
川平ファームで買ったパッションフルーツのジャムは絶品でした。

午後1時半の便で那覇へ(便が送れたため、那覇で予定の便に乗り換えできず、那覇空港で数時間足止めを食らいましたが)、その日のうちに名古屋へ。

今回は短時間の滞在でしたが、沖縄・八重山には、今後も何度も足を運ぶことになりそうです。
c0176103_1720673.jpg

[PR]
# by iraben | 2008-09-29 21:32

佐賀県弁護士会のプレシンポに呼ばれてきました。

毎年日弁連では,「人権大会」という大規模な大会を開いています。

今年は10月2日,3日に富山で開かれるのですが,そこで「平和的生存権と憲法9条の今日的意義を確認する宣言」という宣言が採択される予定です。
イラク派兵違憲判決の中で「平和的生存権が具体的権利だ」と正面から認めたことが,この宣言の採択につながっています。

日弁連は4月17日の違憲判決翌日にすぐに違憲判決を高く評価する会長声明を出してくれています。このような宣言を出すところまで動いてくれる日弁連のことを,私たちは大変心強く思っています。

10月の人権大会に向けて,各地の弁護士会では「プレシンポ」が開かれます。今年は名古屋だけでなく,各地の弁護士会で違憲判決を題材にしたプレシンポが開かれました。

わたしは,佐賀県弁護士会のプレシンポに呼ばれ,9月20日に佐賀まで足を運んで参りました。

会の開催にあたって,佐賀県弁護士会会長の浜田弁護士が挨拶をして下さいましたが,これがとても印象に残りました。

浜田弁護士は,弁護士になる前に商社にお勤めで,イラクにも4年間駐在していたことがあるそうです。2年目にイランイラク戦争が始まりましたが,その後もバグダッドにとどまり,仕事を続けられたとのこと。当時の戦争は,イラン国境沿いでの消耗戦で,バグダッドには時々警報が発令される程度で,バグダッドは極めて平和で,休みの日(イスラムでは金曜日がお休みですが)にはメソポタミアの文明の遺跡を巡ったりして過ごしたと仰っていました。

また,懇親会の時に伺ったことですが,報告会でわたしがいつも見て頂いている西谷さんの「イラク戦場からの告発」に出てきたキルクークのサッカースタジアムでサッカーをしたことがあることや,スレイマニアなど,多くの地域にも行ったことがあると仰っていました。

映像を見て,「豊かだったあのイラクがこんなに非道い状況になっているとは知らなかった。多くのことも達が命を奪われていることを知らなかった」ととても衝撃を受けていらっしゃいました。

浜田弁護士の言葉で,この違憲判決のことを周りに広げて頂ければと,強く思いました。

集会には土曜日の午後であるにもかかわらず多くの市民が足を運んで下さいました。

皆さん,大変熱心に耳を傾けて下さり,終わった後はイラクで日本が「戦争をしている」という実態に衝撃を受けながらも,コミュニケーションをとりながらの集会だったため,多くの方から「とても楽しかった。刺激的で良かった」などと仰って頂きました。

企画終了後には,プレシンポを主催をされた佐賀県弁護士会の皆さんと楽しい懇談の機会を持つことができました。企画を準備された東島先生はじめ多くの弁護士会の皆様に感謝しております。川口
[PR]
# by iraben | 2008-09-29 13:00

「イケママ報告会旅行記 疾風怒濤編」


 子どもが小さい関係で報告会は県内中心なのですが,8月24日の東京都・高島平での報告会だけは遠征してきました。実は,住んでたんです。高島平。父の転勤で,2歳~4歳と小1~小3まで。懐かしかった!!

 当然この報告会も家族旅行で行ってきたわけですが,語るも涙,聞くも涙のこの強行スケジュール。夫婦共々30代(泣)。

 まず,8月22日~23日は,福井県・敦賀で,児童虐待にとりくむ弁護団の合宿がありました。23日は午前8時に敦賀を出て,茨城県・鹿島へ。そう,Jリーグ開幕以来16年間,公式戦はおろかプレシーズンマッチも含めてすべて名古屋が負けている(引き分けすらない),まさに鬼門,あの鹿島スタジアムへ!(皆さ~ん,ついてこれてますか~?)

 子どもは敦賀の海での海水浴を主張しましたが,東名高速がポケモンスタンプラリーをやっていてよかった!ゲットだぜ!!なんて言いながら,9時間かかりました。

 頑張って運転していった甲斐あって,そうです,この日のカシマスタジアムは名古屋の歴史的勝利でした。試合終了のホイッスルが鳴った瞬間,隣の席の誰彼なく握手し,肩を抱き合い,涙する。不本意にも新聞の扱いは小さかったですが,スタジアムは「歴史的」勝利にふさわしい空気に包まれていました。子どもを抱きあげタオルマフラーを振りながら,4/17歴史的判決の日,会う人会う人握手していたことを思い出していました。

 この日は,潮来で1泊。何故か,夫の後輩が同じ部屋に泊まって祝杯をあげていましたが,そんなことは気にせず,翌24日も午前8時発でようやく高島平へと向かったのでした。
 高島平では,報告会の前には懐かしい場所を案内していただきました。本当にありがとうございます。通っていた小学校,住んでいたアパート,赤塚公園,東京大仏,遠いように感じていた駅ってこんなに近かったっけ?

 初めて会う方たちばかりなのに,「ホーム」という雰囲気の中で報告させていただきました。とても熱心に聞いていただき,私たちが「加害者」としての立ち位置にいること,平和的生存権の活かし方についての意見交換がなされました。生存権が切り崩されている現状と平和的生存権との関係についても話題となりました。

 そういえば,東京では航空自衛隊よりも陸上自衛隊の方がなじみがあるという声も聞かれ,前の日,東京へ向かう高速で,陸上自衛隊のトラックが荷台のスペースに隊員の方々を乗せて走っていたことを思い出しました。後部座席でシートベルトの着用が義務老づけられたというのにどうしたことか,これも人の命の軽視の表れかと感じました。
 別れを惜しみながら名古屋へ。3日間で20時間を車で過ごしました。豊橋あたりで,子どもがとうとうキレて,「おふとんで寝たい!足延ばして寝たい!!」。
 そうだよね。おふとんで足延ばして寝るってことが幸せだもんね。何でか涙がでて,疾風怒濤の報告会旅行記,完なのでした。(byイケママ)
[PR]
# by iraben | 2008-09-29 12:29

「イケママ」とイラク派兵差止訴訟

 私が、この訴訟に参加したのは4年半前、ちょうど子どもがゼロ歳のころでした。その頃の私はまだ弁護士なっておらず、子育てしながら受験勉強中でした。
 私にとって,憲法9条とは,小学校以来,我が国の誇る平和主義として教えられてきたものでした。そして,平和主義は,基本的人権の尊重・国民主権とともに3本の柱として私たちの生活を支え,どの1つが欠けても生活が成り立ちえないと,当たり前のように思っていました。そして,軍隊を持たないということは,私たちの平和を守るとともに戦争による人殺しをしなくてよいことと同義でした。
 けれど,湾岸戦争の頃から,何か違ってきていると感じ始めました。成人する前のことでした。「加害者になるの?」という思いが私を漠然と不安にさせ始めたのでした。
 漠然とした不安を感じつつも何もできず,とうとう,イラクへ自衛隊が派兵されることになったのでした。イラク戦争が,アメリカによる報復のための言いがかりの戦争だということは誰しも分かっていたと思います。
 子どもの寝顔を見ながら,「今日も無事1日終わってよかった」と幸せを感じたいその時間,私の心に「イラクに住む母親たちはどういう気持ちで夜を迎えているだろう」という思いがトゲのように私の心を刺していました。それは,遠い国の可哀想な話ではなく,まぎれもなく自分も加害者と見られて仕方のない事実でした。
 そんなころ,イラク派兵差止訴訟が提起されることを知ったのでした。すがるような気持ちで原告になりました。正直な話,裁判所が「違憲」判断をするとは思えませんでしたが(ごめんなさい),名前を連ねることで,「私は反対した」という言い訳にしたかったのでした。
 報告会では,そういう偽善的な自己満足な動機で原告になったという白状も報告しています。自分としては懺悔の気持ちもあったのですが,いろいろな報告会で,参加者の方々,特に女性の方々から思いがけずたくさんの共感の声を頂きます。自分の国の軍隊が派兵されている現実に,自分の国の子どもたちだけ幸せでいいの?という疑問を持つ母親は多いのだとあらためて感じています。(byイケママ) 
[PR]
# by iraben | 2008-09-25 12:27

「はじめまして。イケママです。」

はじめまして。子連れ弁護団です。

 イラク弁護団では、「そのひとしずくがやがて地下水のごとく怒濤の源流となる」を合い言葉に、全国各地を報告集会にとびまわっています。 

 ただ,5歳の子どもがいる私の場合、「全国」というわけにもいかず、名古屋周辺を中心にお伺いしています。

 我が家では、イラク高裁判決の報告集会を最優先課題と位置づけ、家族一丸となって出かけます。集会の間,子どもとパパは会場周辺で遊んで待ってくれています。おかげさまで,今年の夏休みは,とよた科学記念館で何度も坂道ダッシュをしたり,新城で生まれて初めての川遊びをしたり楽しく過ごせました。報告会終了後,私を迎えに駆け寄る子どもに,「頑張って待ってたね」と参加者の皆様があたたかい声をかけてくれるのも子どもにとって思い出になっていることでしょう。

 ところで、パパも弁護士ですが、イラク弁護団には加わっておらず「イケベン」になり損ねました。それでも、山田朗先生がこの訴訟の尋問でも明らかにされてましたように、「後方支援も戦闘行。(byイケママ) 為に不可欠な軍事活動」に他なりません!心意気はイケベン。イケパパともども頑張ります。

★イケパパの4月17日判決の翌日,18日のブログにて,判決に触れていますのでご紹介します。以下転載です。
「ピクシー,ブラニスラブ・カペタノビッチに会う」
 名古屋サポなら覚えているはずだ,アンダーシャツに書き殴った"NATO STOP STRIKES"のあの文字を。
 こんな書き出しで丁度2年前こんなエントリーを上げた。
 1999年,NATO軍がユーゴ爆撃に使ったのは,悪名高きクラスター爆弾だ。内蔵された数百個の子爆弾を広範囲に散布し,そのうちの何割かを不発弾として残して地雷の役割をさせるこの爆弾は,戦闘終了後においても,それと知らずに触った一般市民を殺す。
とくに被害に遭うのは,遊び好きな子どもであって,故に,クラスター爆弾は「チャイルド・キラー」という忌まわしい名で呼ばれている。
 ブラニスラブ・カペタノビッチ(Branislav Kapetanovic)は,1965年生まれのセルビア人で,軍の不発弾処理技術者として働いていた。2000年11月,セルビア中部のクラリエボで作業中事故に遭い,両手両足と,片耳の聴力と,片目の視力の一部を,文字通り,吹き飛ばされた。20回の手術と4年のリハビリを経た彼は,NGOのスポークスマンとして,クラスター爆弾の禁止を訴えて,世界中を飛び回っている。
 そのカペタノビッチは,現在,クラスター爆弾全面禁止に消極的な国の一つ,この日本を訪れており,講演・キャンペーン活動を行っている。昨日は,グランパスのクラブハウスを訪れて,ピクシーと会談した。
 ストイコビッチ監督と会談 クラスター弾被害者の男性(中日)
 4/17(木):セルビア共和国・カペタノビッチさんがストイコビッチ監督を訪問(公式) 
 カペタノビッチは,ズベズダの大ファンであり,自らのアイドルであるピクシーと会えることをとても楽しみにしていたそうで,この日の対面を「幸せを超える幸せだ」と喜んだ。一方のピクシーも,故郷ニシュでも不発弾処理にあたっていたカペタノビッチを,「彼は私たちのヒーローだ」と讃えて,グランパスのユニフォームを贈って,サポートを約束した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて。
 直近でこの忌まわしい爆弾が使われた国はどこであるか。
 勿論,それはイラクである。
 この爆弾は,今日も,イラクで子どもを殺している。
 そして,折しもまさに昨日,名古屋高裁青山コートで下った歴史的判決が意味するところ。
 私も,
 そしてあなたも,
 アメリカの片棒を担いだ人殺しの一味にすぎないのだ。
 カペタノビッチの失われた手足とともに,我々自身の罪をも凝視しなくてはならない。
 それは我々に課せられた責務。
[PR]
# by iraben | 2008-09-24 09:41